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SHAKA INFO

2011.12.03

UKI、MAH、TAKE-Cからのコメント

♦♢Always Look On The Bright Side Of Life!!!!!!!♢♦

きんちゃんの話を聞いてから、この報告をするのが怖くて仕方なかったです。
なんて言っていいかわからな過ぎて。情けな過ぎて。だから恥を偲んで長々と書かせてもらいます。

俺たちはここ数年、きんちゃんに音楽の楽しさを全力で伝えようと必死でした。
それはきんちゃんがあまりにもバンドに音楽に無関心のように俺たちには見えていたからです。
1stアルバム以降、レコーディングする自分のラインを考えなくなったのもその一つ。
他の3人が創るのを待って、それをコピーするという流れ。

他にも色々あったけど、俺はそれがたまらなくイヤでした。俺の思うバンド像とかけ離れていくし、なにより俺たちを応援してくれてるみんなにも後ろめたい気持ち。
インタビューなどで何も話せないきんちゃんを見るのも、フォローしなきゃいけない自分達もホントにホントに辛くてたまらなかった。
作品は何としてでも本人に弾かせてあげたいと思っていたので、時間がかかっても録ろうと話し合い、レコーディングも頑張ってもらっていたんですが、毎回スタジオの時間もかさみ、たった一曲でまる2日以上使う事もあり、バンドとして物理的にこれ以上レコーディングが続けられないギリギリまで圧迫したりしていました。

最終的には、俺やたけちゃんが弾くとこまで来てしまいました。
本人はうわの空のままで。

そんなきんちゃんを見る度に友達としてもメンバーとしても何度も聞きました。
ベースは好きなのか?上手くなりたい気持ちはあるのか?プロとしての自覚は?と、だってやりたくないやつにやらせるのは違うと思うから。
その度きんちゃんは、ある!と言ってくれていました。

だから俺たちは、その言葉を信じ、じゃ頑張ろう!本物のバンドになろうぜ!そう言って全力で向かいました。
終わり良ければすべて良し。最後は俺たち本物になって終わるぞ!って。
たけちゃんは弦を弾く者同士としての目線で、俺はリズムセクションとしての目線、うきはハーモニーの目線で。ホント様々な観点から自分達に考えうる全てを話し、バンドの全ての時間を注いできました。

上達って、コレが体に入ればコレが出来るというような単純な積み重ね。
自分のものにしていく楽しみ。地味でキツい時期を乗り越えてそこからオリジナリティを生み出す喜び。
だからこその嬉しさがある。

でも、上手くなりたいと言っておきながら、練習しないきんちゃん。
それでいて悶々とした表情の毎日。さっぱりわかりませんでした。
誰だって地味な練習はやりたくない。でもそれが一番大切で何より近道だったりする。
きんちゃんの1音1音がきんちゃんを生かしてるんだぞ!俺たち3人ずーっと同じ事を話してきました。
でも、最後の最後まで信じてくれなかった。思えばライブで間違った時も、レコーディングで他の誰かが弾いても、本当に悔しがってる姿を見た事はなかったです。
音楽に生かされている事。
期待される幸せ。
きっとそこにリアリティが無かったのだと思います。
今の今でもさっぱりわかりません。

辞めたいときんちゃんから聞いた時、俺は、今まで支えてきてくれたスタッフや全国のファンのみんな、家族や友達、みんなの顔は浮かばねーのかよ!と怒鳴りました。
少しの沈黙の後、『浮かばない』ってはっきり言われて、体の力が全部抜けていきました。
3年ぐらい前からもうベースを弾きたくなかったって聞いて、悲しくなりました。
気づけなかった自分達も愚かだったなと思いました。
きんちゃんの言葉や態度がポーズだった事、上手くなりたい!ベースが好き!その言葉達を信じきって結果的にいつのまにか嫌がってる相手に無理をさせる形になってしまっていた事。
それだけはイヤだったんですけど…。情けないです。

はっきり言って俺は納得できていません。
だって、何か他に本気でやりたい事があるなら別だけど、(だったら全力で応援するのに。。)いわゆる地味な練習ができなかっただけ。それで13年やったバンドを辞めるのか。
誰にだってスランプは訪れる。そんな事で大切な人達を裏切っていいんだろうか。
逃げていいんだろうか。
キツい時こそみんなの喜ぶ顔を思い浮かべて乗り越えるもんだろ、プロだったら。
プロの定義はわからんけど、なんだろ、プロ根性、プロ意識の欠落か?
いやいや、もっと単純な『人』としての責任感の話かもしれない。

みんなそうやって真っ正面から自分と向き合って、ステージに立たせてもらうんだ。
ステージにあがるチャンスをもらうんだよ。
納得できない。くだらない。正直、事故った気持ちでいっぱいなんです。

ずっとずっと一緒だと思っていた仲間の事、知ってるつもりで知らなかっただけなのかもしれない。
あっけねーな。これがきんちゃんとの13年間のラストかよって感じですが、自分達に出来る事は全てしました。悔いは残っていません。
こんなにも長い間、それも何年も、他人の事を考え過ごした時間は今まで一度もなかった。
いい勉強になりました。今となってはもう、何でも良いからこれから本気で夢中になれるものを見つけて、イイ感じに生きていって欲しいと思うだけです。

きんちゃんがこれから何を選んで生きていこうと、楽しくさせるのは自分次第。
そこには同じように責任と義務があります。
光の届きにくい部分が必ずあります。
それらすべてを愛せる何かに出会える事を、友達として願うだけです。
これ以上のバンドの危機ってそうそうない。
もう何があっても文句言わずに口笛でも吹いてやります。

きんちゃんが入院していた時、誰かひとりでも欠けたらもうSHAKALABBITSは終わりにすると思っていたけど、きんちゃんの本心を知って、それはバンドのエゴだ!と気づいた。
本当の誠意とは、何があっても続ける事だと学んだ。

俺は支えてくれた人々の顔が浮かぶ。
そして、これからも恩返ししたいと思ってます。
今までずっと応援してくれていたみんなには賛否両論あると思います。
でももう俺たちは振り返りません。
鳴らせる場所がある限り、全力で演っていきたいと思ってます。
また気合い入れ直してゼロからやり直させてください。

これからもSHAKALABBITSをよろしくお願いします。

Drums MAH

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今回のbassのKING脱退。
正直なんて書いて良いか分からないし今も分からないまま書き出してます。
まずは今回の事で寂しい思いをしている人が沢山いるという事。
これはSHAKALABBITSのメンバーとして応援してくれている人たちに本当に申し訳ないです。

僕はまだ正直言うときんちゃんの気持ちが完全に理解出来た訳じゃないんです。
もう音楽をやるのが辛い。音楽に向かえない。音楽が楽しめない。
もう演奏する側に立ちたく無いから辞めたいって言われた時に、ホントにそれで良いのか?って思ったんです。音楽に本気で対峙したのか?やり残した事は本当にないのか?後悔は無いのか?

この場所に立っていられる事自体がミラクルで沢山のミュージシャンがそこを目指す中で自分からそれを辞めるという事。
音楽をならす事が出来る幸せ。やりたくても出来ない人もいる。
みんな初めは音楽以外の事をやりながらそれでも音楽をやっている。
僕だってラーメン屋でバイトしながら音楽をやっていたし一つ違えば今だってラーメンを作りながら音楽をやっていたかも知れない。

音楽だけに専念出来る環境。理想的な環境。
そういうすべてを自分から捨てるって事。

だから前にきんちゃんから辞めたいと言われた時も引き止めたし励ましもしました。

だけどメンバーとして近くにいる僕から見ていて今回の事できんちゃんは音楽に対しての気持ちが初めから無かったかの様にさえ見えてしまったんです。

ずっと昔から一緒に演奏している自分たちの曲でMAHがどんなリズムパターンを叩いているのか。
僕がどんなコードやフレーズを弾いているのか。
UKIがどういう思いを歌っているのか。
どの曲も曖昧で自分のフレーズ以外は分からないと言われた時、正直ビックリしたと同時に悲しい気持ちになりました。

これは楽器を演奏するとかって事の前の単純に音楽への接し方の話だと思うんです。

音楽ってのは音でする会話だと思う。
相手の出した音を受けて自分もそれに答えていく。
それが絡まりあって行った結果が音楽だと僕は思うんです。
周りの出してる音が分からないっていうのは、会話の中で相手がどんな事を言っているのか分からないのに決まっている自分の言葉だけをただ話し続けているって事。
これはもはや会話と言わないと思うんです。

だから僕らはきんちゃんに「会話をしよう」って繰り返し伝えました。

僕から見れば周りの音が分からないっていうのはただ単純に自分から歩み寄っていないだけに思えたからなんです。
難しい事はないはず。ただ歩み寄って音を繰り返し聞いて覚えれば良い。
音楽だけじゃ無くどんなものでもそうだと思う。
自分から動いて求めて歩み寄らなければ決して近付いて来てはくれない。
逆に自分の歩みを止めなければ、少しずつかも知れないけど確実に近付くはずだから。

しかし結果としてきんちゃんが出した答えは、自ら音楽から離れて行くという事でした。

何事に対してもそうだと思うけど強い気持ちが無くたって、上手くいっている時は良いのかもしれない。
でもすべて良いときばかりじゃない。
辛い時やくじけそうな時。上手くいかない時だってもちろんある。
そんな時。気持ちが無いと途端に続けて行くのは難しくなる。
だって何かを欲するという気持ちがすべての原動力だから。

気持ちがあるけど上手くいかないのならば、全力で応援するし励ましもします。
でも気持ちが無い人間を引き止めたり、励まし続ける事はすごく辛い事なんです。

だって本人が求めていないんだもの。

なので最終的にはきんちゃん自身が出した答えを僕らは受け止めるしかない。
受け止めたけれども一緒に音を出していたメンバーとしては心からの納得できません。なぜ?って思いが消えない。
音楽が好きだからBASSが好きだから13年間という長い時間をここまで一緒に歩んで来たんじゃないのか。それを捨てるって。
でも僕はきんちゃんじゃないから全部は分からないのは当たり前。
だから「しょうがないね」って言うしか無い。

一連の流れの中でSHAKALABBITS自体を終わらせようって話も出ていました。
だけど僕らはSHAKALABBITSが大好きだし何よりSHAKALABBITSを応援してくれている沢山の人たちがいる。
ここでバンドを終わらせてしまうのが果たして良いんだろうか…。
もうSHAKALABBITSの曲を演奏出来なくなって良いのか?

僕らが出した答えはきんちゃんが脱退してもSHAKALABBITSを続けて行くという事です。

音楽を表現していくっていうのは単純だけどとても難しい。
数学の様に正解が有る訳じゃない。でもだからこそ楽しく魅力的なんです。
とくにバンドってのはとっても特殊だと思うんです。
友達であり、家族の様でもあり、仕事の仲間でもあり。
そして一緒に音を出してバンドの音楽を創るメンバーなんです。

前から僕がその通りだなぁと思うのはバンドは「村」のようであるって事。
決して法律や条例などできっちりどこでも通用する共通のルールが決まっているような都市ではなくて。
その「村」ごとの緩やかな掟やルールみたいなものを共有しあって寄り添って暮らしている共同体。
例えばこっちの村では子供の頭を撫でるのは良い事とされているでもあっちの村では大変に失礼な事になったりする。
それは村どうしの文化の違いでそれこそバンドの数だけルールや掟。
習慣みたいなそのバンドの独自の文化があるんだと思う。

僕らはその沢山ある村の一つ「SHAKALABBITS村」に住んでいる村人なんです。

きんちゃんはその「村人」である事を自分から諦めてしまった。
その理由はどうであれ自ら出て行くと決めた事に変わりは無い。
きんちゃんはこの村を出て行く事になったけどSHAKALABBITSという村は続いていきます。
新しい住人を迎えてSHAKALABBITSは続いていきます。

形が変わって行く事に抵抗や複雑な思いが有る人も居ると思います。
もちろんそれも分かる。それでもSHAKALABBITSは続きます。

本当はこんな事を長々と書かなくても良いのかもしれません。
きんちゃんが脱退するっていう事実だけが伝われば良いのかもしれない。
でも今回の事を知ってきっとみんなそれぞれに思う事が有って色んな感情がぐちゃぐちゃだと思うのです。僕もそうです。
だからこそみんなに僕が今素直に思う事や気持ちはここで伝えたいと思って書き続けるうちにこんなに長くなってしまいました。

最後に僕は自分が迷ったり悩んだりした時は自分が音楽に出会ってギターを始めた時の事を思い出すんです。
毎日ギターが弾きたくて弾きたくて頭の中はそればっかり。
ギターに触れるだけですべてがぶっ飛ぶあのドキドキ!カッコいい曲を聞くだけで居ても立ってもいられないあのワクワク!初めて生でライブを見た時の興奮。そういうものがすべての根源!あの音楽を欲する気持ちが原点であり原動力なんだ。
それは今でもしっかり自分の中にある。
今回の出来事で改めてそれを感じる事が出来ました。

僕らがこれから鳴らす音楽がさらに誰かをドキドキワクワクさせられるように。
そして自分自身がそう思えるような音楽をこれからも鳴らして行きます。

Guitar TAKE-C

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長々と事後報告したくないなぁと思いつつあやふやに進むのも怖いので、ぶちまけます。

もう、私たちが金ちゃんにできることはないよ、、と言い切れるくらい長年、金ちゃんを信じて向き合ってきました。
でも日々、言葉とは裏腹に逃げてしまう。
それでもバンドですから、その前に友達だから創作も練習も本番もインタビューなどでも、フォローし合って歩んできた13年です。
その積み上げてきたもの、放っておいてきたものはやっぱりいつか崩れてしまうんだと思い知りました。

スタジオに入るたび苦しくなって、このままずっと繰り返した時間が流れるのは誰のためにもならないと感じていた頃、レコーディングの真っ最中今年の5月に、Shakalabbitsは終わりかけました。
Shakalabbits以外の道を真剣に考えたのなんて初めてでこの先、一から何を目指そうかと想像するのは10数年ぶりのこと...だいぶ気持ち悪くなりました。
でもこの時ばかりは腹をくくって、4人はそれぞれの次を考えていた時期だったのです。
とは言えそれがベストな考えだとは到底思えず、もう1度、みんなで払いのけて進むことを決めたのですが、一向にうまくはいきませんでした。
また流れる、憂鬱な時間。。嵐みたいな大喧嘩。映画みたいな大惨事。
体調もおかしくなる。音楽がしたいだけなのに、、、何がしたいんだ私たちはと。

忘れもしない8月18日、2日後はフェスの出演が決まっていたのにいつもの曖昧な重たい空気。。
3人はすでに「自分で決めてくれ」としか言えずそのあと金ちゃんの出した答えに従うことにしました。

ステージに立つ側にいたくないと聞いた時、誰の顔も浮かばないと聞いた時レコーディングで自分が弾かなくなったことを悔しがらない理由が私の中で何となく納得できたのです。
同時にすごく悲しくて、まるで他の誰かの話をしているかのような金ちゃんが全然理解できませんでした。

音楽が好きかどうかわからないと言うベーシストに音楽を大好きになってよ、とは言えません。
何年も前からそんな大事なことが頭に過ってたならかっこなんてつけないで、もっと早くに相談ぐらいして欲しかった、、そんな状態で、自分を追い込むこともせずにいたら訳も分からなくなるでしょうに。。最早、情熱うんぬんの話ではないです。
最後まで誰も脱退は望まなかったしそれは誰も金ちゃんの人生を決められるはずがないから。

そしてこの決定を、"mademoiselle non non"のインストアライブの時みなさんに伝えるべきか非常に迷いました。
直接言えなくて、ごめんね。
その後に決まっていたイベントや学園祭ツアーが主旨と異なった寂しく暗いライブになってしまいそうでそれだけは絶対に避けたかったのです。
自分で決めた覚悟にそんなに落ち込まないで、、ってほど金ちゃんはどよよーんとしがちだったので。。ステージに持ち込まないように鼓舞しながら1ライブ1ライブの今を楽しんで、最後の日まで過ごしました。

3人はと言うと、レコーディングの始まりは本当に挫けてどうしようもなかったけれど金ちゃんの本音を聞き出してからは、逆に絶対続けてやると思うようになりました。
気持ちがぐっちゃぐちゃだった時に行ったFISHBONEのライブも心が逞しくなれたきっかけです。
結成から25年の間に、どんなにメンバーが入れ替わってもAngeloはFISHBONEを続けだからこそ、こんなドキドキするようなかっこいい演奏を生で味わえてるんだ!!と痛感しました。
自分らのバンド、潰しかけてる場合じゃないやって。

私たちを応援してくれるみんなにとって、Shakalabbitsのライブを二度と観れなくなるより演り続けて、気軽に観れる方が絶対いいだろうと言う3人の答えです。
そして世の中から、まだ続けてるんだ、と思われた方が気分もいいです。
金ちゃんがいないとShakalabbitsじゃないと感じる人もいると思いますがShakalabbitsの表現は終わっていないし、ライブに来てくれるみんなとまだまだ遊びたい。
私たちは必ずパワーアップするつもりです。
"いつまでも想像を超えたい"と歌っているように、ひたすら進んで夢を見ます。

金ちゃんの今後がとてつもなく不安だけれど、4人で演奏する最後、宇都宮大学の学園祭で何かが剥がれたような金ちゃんを見て、少しホッとしました。
これからどんなに時間がかかっても、金ちゃん自身が自分のためにまわりにいる大切な人たちのために、夢中になれる何かを見つけて貫き通して欲しいなと願っています。
友達を辞めるわけではないので、次に会う時は、ふざけた話ばかりをしたいです。
金ちゃん今までありがとう、ばいばい、またね。


12月29日のCOUNTDOWN JAPAN 11-12の出演は新しいShakalabbitsの始まりとしてステージに立ちたいと思っています。
どんなことが起こるのか未知なのがライブですからわくわくしながら、音楽を楽しんでいきたいです。
これからもShakalabbitsを、よろしくお願いします。

vocal.uki

2011年12月3日